昨日・今日・明日
2016.03.14(Mon)
震災から5年が過ぎましたね。
今年は、初めて震災に関わる報道を見る機会に恵まれました。(にゃんこはうすにはテレビ電波が届いてなかったので)
思ったよりもたくさんの特集がされていて、懐かしいような気持ちで、見ていたのですが・・・
やっぱり途中でつらくなって、ほとんど見られませんでした。

震災前、私は植物とか動物とか、風景の写真を撮るのが好きでした。
この福寿草は、鉢植えで、自宅にあったものです。
震災後も数年は美しい花を咲かせてくれていましたが、ついにはイノシシにひっくり返されて、なくなってしまいました。

写真とは言っても、携帯でパシャッと撮るだけだったのですが・・・
そのうち、一眼レフのカメラが欲しい・・・と、たんす貯金をしていました。
そのお金が避難時にとても役に立ちました。
ATMもコンビニも開いてなくて(電気もきてなくて)、お金を下ろすことができたのはずいぶん後になってからだったからです。
もちろん、ポイントカードやコンビニの事前に入金できるタイプのカード類も全く使えません。
そこにお金はあるはずなのに、使えない・・・
だから、今はそういったカード類は持っていません。

自宅付近の山は、庭のようで・・・
甥っ子を連れたり、犬を連れたりして・・・よく、キノコを採りに行きました。

あんまり美味しくはないですが、食べられるキノコです。
ムラサキシメジという種類です。
このキノコの群落を2010年秋に見つけて、2011年の秋に、また出会えるかな?と楽しみにしていました。

この花は銀竜草。
こう見えても、菌類の一種で・・・
ここから抜き取ってしまうと枯れてしまいます。
菌がまんべんなく行き渡った土壌に、ある一定の条件がそろうと生えて花を咲かせます。
この花がよく咲く場所も山の中にありました。

車が通れないので、犬を放しても大丈夫な広大な土地がありました。
向こうに見える紅白の塔は、気象観測のために建てられたものでした。
東北電力が、浪江小高地区に予定していた原発の事前調査のために建てられたもので、計画の中止に伴って震災後撤去されました。
3・11という日は、地震・津波で亡くなった方を想う日だと私は思っています。
記念日でもなく、イベントでもありません。
あまり親しくない方に
「3月11日は福島に帰るんでしょう?」と聞かれたり・・・
「3月11日が近いけど、どうですか?」と、問われたりして、面食らうことがあります。
その場は、あたりさわりのない話をしますが・・・
逆に、なんでそう思うのか聞いてみたいな・・とも思います。
3月11日は、大きな震災があって、津波で多くの命が失われた日です。
それと同時に、当たり前にあった毎日・・・昨日今日明日と続いていく変わらないと思っていた日々が終わった日でもあります。
でも、私は生きている。
震災前とはいろいろ変わったけれど、
昨日、今日、明日・・・と続いていく毎日を生きています。

震災で壊れてしまったもの。
失ってしまったものもたくさんありますが、そのことをいつまでも悔やんでいるだけではいけない・・・と、
前を向こうと思っています。
まだ、うまくいかないことも多いけど。

3月11日が鎮魂と慰霊だけでなく・・・
自身が震災に遭遇したら、どうするか?
どんな備えをするか?
考え直す日になるといいな・・・と思います。
追記は、震災時に必要だったもの覚書。
こんなものがあったらよかった、あって良かったと思ったものです。
『あって良かったと思ったもの』
保存のきく果物(りんご)・・・避難中の食料として。
チョコレート・・・小さい子のおやつに、大人の精神安定剤に。
現金・・・銀行にあるお金は何の役にも立ちませんでした。避難中、わたしのたんす貯金15万円弱が家族の命綱でした。
猫フード・犬フードの備蓄・・・震災後、物流が止まってからはペットフードはほとんど手に入らなくなりました。
毛布・・・避難所の体育館は寒いはず、と、持って行った毛布。親戚の家にたどり着いたときに、役立ちました。(多人数(2家族)がその家をたよったので、寝具が足りなかったのです)
『あったら良かったもの』
水の備蓄・・・停電・断水で、水が手に入らなくなりました。
携帯の充電器・・・電気が通ってないから、持っていかなかったのですが被害の少ない地域では電気が通っていて充電もできました。
(バッテリー)
ガソリン・・・スタンドも停電のため給油はできず、物流が止まってからは、1000円分とか限られた数量しか購入できなくなりました。
普段から、ガソリン満タンを心がけるようにしています。
メモ用紙・ペン・・・あのころ、思ったことや起こったことを書き留めておけばよかったと思います。
運転免許・・・震災後、取得しました。
余談≫
震災当時、着の身着のままだったので・・・
しばらくは下着の替えもなく・・・ずっとスウェット上下にコート姿でした。
避難所に行くときは、人前に出ても恥ずかしくない服装で、着替えも持っていくといいと思います。
避難所に行く イコール もう帰れないかもしれないと、思って準備をするといいと思います。
離れたくない大事な家族とは、離れないでください。
今年は、初めて震災に関わる報道を見る機会に恵まれました。(にゃんこはうすにはテレビ電波が届いてなかったので)
思ったよりもたくさんの特集がされていて、懐かしいような気持ちで、見ていたのですが・・・
やっぱり途中でつらくなって、ほとんど見られませんでした。

震災前、私は植物とか動物とか、風景の写真を撮るのが好きでした。
この福寿草は、鉢植えで、自宅にあったものです。
震災後も数年は美しい花を咲かせてくれていましたが、ついにはイノシシにひっくり返されて、なくなってしまいました。

写真とは言っても、携帯でパシャッと撮るだけだったのですが・・・
そのうち、一眼レフのカメラが欲しい・・・と、たんす貯金をしていました。
そのお金が避難時にとても役に立ちました。
ATMもコンビニも開いてなくて(電気もきてなくて)、お金を下ろすことができたのはずいぶん後になってからだったからです。
もちろん、ポイントカードやコンビニの事前に入金できるタイプのカード類も全く使えません。
そこにお金はあるはずなのに、使えない・・・
だから、今はそういったカード類は持っていません。

自宅付近の山は、庭のようで・・・
甥っ子を連れたり、犬を連れたりして・・・よく、キノコを採りに行きました。

あんまり美味しくはないですが、食べられるキノコです。
ムラサキシメジという種類です。
このキノコの群落を2010年秋に見つけて、2011年の秋に、また出会えるかな?と楽しみにしていました。

この花は銀竜草。
こう見えても、菌類の一種で・・・
ここから抜き取ってしまうと枯れてしまいます。
菌がまんべんなく行き渡った土壌に、ある一定の条件がそろうと生えて花を咲かせます。
この花がよく咲く場所も山の中にありました。

車が通れないので、犬を放しても大丈夫な広大な土地がありました。
向こうに見える紅白の塔は、気象観測のために建てられたものでした。
東北電力が、浪江小高地区に予定していた原発の事前調査のために建てられたもので、計画の中止に伴って震災後撤去されました。
3・11という日は、地震・津波で亡くなった方を想う日だと私は思っています。
記念日でもなく、イベントでもありません。
あまり親しくない方に
「3月11日は福島に帰るんでしょう?」と聞かれたり・・・
「3月11日が近いけど、どうですか?」と、問われたりして、面食らうことがあります。
その場は、あたりさわりのない話をしますが・・・
逆に、なんでそう思うのか聞いてみたいな・・とも思います。
3月11日は、大きな震災があって、津波で多くの命が失われた日です。
それと同時に、当たり前にあった毎日・・・昨日今日明日と続いていく変わらないと思っていた日々が終わった日でもあります。
でも、私は生きている。
震災前とはいろいろ変わったけれど、
昨日、今日、明日・・・と続いていく毎日を生きています。

震災で壊れてしまったもの。
失ってしまったものもたくさんありますが、そのことをいつまでも悔やんでいるだけではいけない・・・と、
前を向こうと思っています。
まだ、うまくいかないことも多いけど。

3月11日が鎮魂と慰霊だけでなく・・・
自身が震災に遭遇したら、どうするか?
どんな備えをするか?
考え直す日になるといいな・・・と思います。
追記は、震災時に必要だったもの覚書。
こんなものがあったらよかった、あって良かったと思ったものです。
『あって良かったと思ったもの』
保存のきく果物(りんご)・・・避難中の食料として。
チョコレート・・・小さい子のおやつに、大人の精神安定剤に。
現金・・・銀行にあるお金は何の役にも立ちませんでした。避難中、わたしのたんす貯金15万円弱が家族の命綱でした。
猫フード・犬フードの備蓄・・・震災後、物流が止まってからはペットフードはほとんど手に入らなくなりました。
毛布・・・避難所の体育館は寒いはず、と、持って行った毛布。親戚の家にたどり着いたときに、役立ちました。(多人数(2家族)がその家をたよったので、寝具が足りなかったのです)
『あったら良かったもの』
水の備蓄・・・停電・断水で、水が手に入らなくなりました。
携帯の充電器・・・電気が通ってないから、持っていかなかったのですが被害の少ない地域では電気が通っていて充電もできました。
(バッテリー)
ガソリン・・・スタンドも停電のため給油はできず、物流が止まってからは、1000円分とか限られた数量しか購入できなくなりました。
普段から、ガソリン満タンを心がけるようにしています。
メモ用紙・ペン・・・あのころ、思ったことや起こったことを書き留めておけばよかったと思います。
運転免許・・・震災後、取得しました。
余談≫
震災当時、着の身着のままだったので・・・
しばらくは下着の替えもなく・・・ずっとスウェット上下にコート姿でした。
避難所に行くときは、人前に出ても恥ずかしくない服装で、着替えも持っていくといいと思います。
避難所に行く イコール もう帰れないかもしれないと、思って準備をするといいと思います。
離れたくない大事な家族とは、離れないでください。
スポンサーサイト