2017.02.07(Tue)
それは、確か2011年の7月中旬のことだった・・・
大恩ある福井県民から電話がかかってきた。
その前の月に、私はその人の助けを借りて、ボンちゃんという母の愛猫をようやく保護出来て、
しかも、一緒に住める状況になかったので、預かってもらっていたのだ。
なんの電話だろう?
まさか、ボンちゃんに何か???
精神的に不安定だったし、ぷーを亡くしたばかりでもあったので・・・
私はたぶん、すごく緊張していたと思う。
そんな私に、中山さん(当時はこう呼んでいた)は言ったのだ。
「大自然に囲まれて、ハイジのように暮らしてみませんか?」
漫画風に表現すれば、その時私の目は点だったし・・・
頭上には変な鳥が飛んでいたのではないかと思う。

と、いうわけで、にゃんこはうすの昔の話。
第二弾です。
文字ばかりだと読みにくいので、当時の写真と秋ごろの写真を挟んでお送りします。
目が点になった、私は、確か・・・
「どういうことですか?」と聞いたような気がする。
さっぱり意味が分からなかった。
何しろ、そのころ避難していた裏磐梯はそれはそれは、大自然に囲まれた場所で、熊も出るしカモシカも出る。
大自然の中でハイジのように暮らしているといえなくもない状況だったからだ。
その時なんと説明されたのかよく覚えてはいないが、警戒区域の猫たちを保護して、
体調が安定するまで一時的に保護する施設を作りたいと思っていて、建物は借りて、猫部屋も一部出来上がったのだが・・・
そこに常駐するスタッフの都合がつかないという話だった。
常駐する予定のスタッフが、現地に行けるまでの数週間。
犬を連れてきてもいいから、大自然に囲まれたにゃんこはうすで、猫の世話をしてもらえないか?というオファーだったのだ。

犬を連れて行っても良いというのが、魅力だった。
避難生活中で、やることもなかったので、毎日おっさん犬と散歩ばかりしていた私は、たしか親がOKしてくれればいいですよ~的な返答をした気がする。
大きな震災があって、命からがら逃げだして、避難所生活から、ようやくプライバシーのある二次避難施設に来たばかりで・・・
親は最初渋っていたように思う。
でも、私の決意が固かったので、それなら、一度その場所を見に行ってみよう!ということになった。
当時、妹家族がちょうどにゃんこはうす近くのアパートに避難生活を始めたところで、
そこに会いに行きたいというのもあったので、数日後くらいにはようすを見に行ったのでした。

にゃんこはうすが間借りしていた、牧場の名前は聞いたことがあった。
たしか、馬がいて、子供が遊びに行くような施設だった。
おぼろげな知識で、地図を開いて(当時はカーナビがなかった)向かったその場所は・・・・
それはそれは・・・
大自然に囲まれていた。
うっそうとした、木々に覆われた道を延々延々と車を走らせると・・・
こんなところに人がいるのかしら?と思った頃に、顔を出したのはサルで・・・
不安になった。
私、こんなところに一人で生きていけるのかしら??
親も同様だったらしく、しきりに30を過ぎた娘の貞操を気にしていた。
いわく、強盗が来たらどうするのか?
へんな人が女一人だと思って来るかもしれないが、どうするのか?
事前に下見をしたせいで、不安は大きくなった。
それに、免許をとったばかりの私(震災の時は免許を持っていなかったのです)が、
裏磐梯からにゃんこはうすまで二時間ちょっとのドライブができるのか?
不安材料ばかりでした。

『山の中の三角お屋根の白い建物で、
大自然に囲まれて、ハイジのように暮らしてみませんか?』
今にして思うと、この誘い文句にOKした自分が信じられない。
すごい無茶ぶりだな~と思う。
何しろ、電話で話してはいたけれど、私とありこさんはその当時、一度会っただけ・・・という間柄で。
お互いに相手がどんな人か良くわかってなかった。
そんな相手に頼まなきゃいけないくらい、困っているのだろうし・・・
猫の助けになることだから・・・
そんな単純な思考回路で、行くことを決めた。
やがて、8月になって・・・
ありこさんには「8月13日10時ころにに来てくださいね~」って、言われていたので、
バッグひとつに身の回りの物を詰めて(当時はそのくらいしか荷物がなかった)
犬をお供に出かけて行った私が見たものは・・・
山のような支援物資と、たくさんのボランティアの人たちだった。
「・・・中山さんは???」
と思っていると、嵐のように現れたありこさんは、話す間もなくレスキュー班とあっという間に去っていき・・・

何をどうしていいのかわからない私と、てきぱき働くボランティアの皆さまが取り残されたのだった。
レスキュー班が猫を連れ帰るまでに、猫が入るケージを用意しなきゃいけない。
フードや、猫砂やトイレの用意も必要だ。
部屋を仕切る工事で、木くずだらけのお部屋も掃除しなきゃいけない。
にゃんこはうすに到着する前に猫を飼い主さんのところに届けてきたという、空になったキャリー(しっこまみれ)も
洗わなきゃいけない。
この日は、折悪しく風のない暑い日で・・・・
森の谷間に張り付くように立地したにゃんこはうすは、無風。
熱いゼリーのようなもったりした空気に覆われていました。
暑い・・・
窓が開いていても、風が入らない・・・
汗ばんだ体にアブが入れ食い。
追い払っても追い払っても、入ってくるアブに何度刺されたか・・・
(アブとは、セミを3センチくらいに小さくしたような生き物で、人や動物の生き血や樹木の汁を吸う虫です)
というのも、この当時、にゃんこはうすには網戸がなかった。
しばらく使われていなかった建物だったので、劣化を防ぐために網戸が外されていたのだ。
網戸を探して、設置したのも、この日だったような気がする。
とにかく、何をしていいかわからないし、ケージの組み立て方も分からない私は・・・
てきぱきと作業を進めるボランティアさんの間を行ったり来たり・・・
右往左往するただの役立たずだった・・・
「何かすることはありますか?」
小さく(不安で小声になっている)、繰り返しながらうろうろしている・・・
不安そうな顔で、挙動不審な女。
自分で言ってて、むなしくなってきたけど、その時の私はハイジじゃなかった。
どっちかっていうと、マッチ売りの少女・・・っぽい。

そんな私のところにやってきた、7匹の猫。
どうなるのでしょうか・・・

ネガティブなまま終わる。
続きはまた、気が向いたら。
大恩ある福井県民から電話がかかってきた。
その前の月に、私はその人の助けを借りて、ボンちゃんという母の愛猫をようやく保護出来て、
しかも、一緒に住める状況になかったので、預かってもらっていたのだ。
なんの電話だろう?
まさか、ボンちゃんに何か???
精神的に不安定だったし、ぷーを亡くしたばかりでもあったので・・・
私はたぶん、すごく緊張していたと思う。
そんな私に、中山さん(当時はこう呼んでいた)は言ったのだ。
「大自然に囲まれて、ハイジのように暮らしてみませんか?」
漫画風に表現すれば、その時私の目は点だったし・・・
頭上には変な鳥が飛んでいたのではないかと思う。

と、いうわけで、にゃんこはうすの昔の話。
第二弾です。
文字ばかりだと読みにくいので、当時の写真と秋ごろの写真を挟んでお送りします。
目が点になった、私は、確か・・・
「どういうことですか?」と聞いたような気がする。
さっぱり意味が分からなかった。
何しろ、そのころ避難していた裏磐梯はそれはそれは、大自然に囲まれた場所で、熊も出るしカモシカも出る。
大自然の中でハイジのように暮らしているといえなくもない状況だったからだ。
その時なんと説明されたのかよく覚えてはいないが、警戒区域の猫たちを保護して、
体調が安定するまで一時的に保護する施設を作りたいと思っていて、建物は借りて、猫部屋も一部出来上がったのだが・・・
そこに常駐するスタッフの都合がつかないという話だった。
常駐する予定のスタッフが、現地に行けるまでの数週間。
犬を連れてきてもいいから、大自然に囲まれたにゃんこはうすで、猫の世話をしてもらえないか?というオファーだったのだ。

犬を連れて行っても良いというのが、魅力だった。
避難生活中で、やることもなかったので、毎日おっさん犬と散歩ばかりしていた私は、たしか親がOKしてくれればいいですよ~的な返答をした気がする。
大きな震災があって、命からがら逃げだして、避難所生活から、ようやくプライバシーのある二次避難施設に来たばかりで・・・
親は最初渋っていたように思う。
でも、私の決意が固かったので、それなら、一度その場所を見に行ってみよう!ということになった。
当時、妹家族がちょうどにゃんこはうす近くのアパートに避難生活を始めたところで、
そこに会いに行きたいというのもあったので、数日後くらいにはようすを見に行ったのでした。

にゃんこはうすが間借りしていた、牧場の名前は聞いたことがあった。
たしか、馬がいて、子供が遊びに行くような施設だった。
おぼろげな知識で、地図を開いて(当時はカーナビがなかった)向かったその場所は・・・・
それはそれは・・・
大自然に囲まれていた。
うっそうとした、木々に覆われた道を延々延々と車を走らせると・・・
こんなところに人がいるのかしら?と思った頃に、顔を出したのはサルで・・・
不安になった。
私、こんなところに一人で生きていけるのかしら??
親も同様だったらしく、しきりに30を過ぎた娘の貞操を気にしていた。
いわく、強盗が来たらどうするのか?
へんな人が女一人だと思って来るかもしれないが、どうするのか?
事前に下見をしたせいで、不安は大きくなった。
それに、免許をとったばかりの私(震災の時は免許を持っていなかったのです)が、
裏磐梯からにゃんこはうすまで二時間ちょっとのドライブができるのか?
不安材料ばかりでした。

『山の中の三角お屋根の白い建物で、
大自然に囲まれて、ハイジのように暮らしてみませんか?』
今にして思うと、この誘い文句にOKした自分が信じられない。
すごい無茶ぶりだな~と思う。
何しろ、電話で話してはいたけれど、私とありこさんはその当時、一度会っただけ・・・という間柄で。
お互いに相手がどんな人か良くわかってなかった。
そんな相手に頼まなきゃいけないくらい、困っているのだろうし・・・
猫の助けになることだから・・・
そんな単純な思考回路で、行くことを決めた。
やがて、8月になって・・・
ありこさんには「8月13日10時ころにに来てくださいね~」って、言われていたので、
バッグひとつに身の回りの物を詰めて(当時はそのくらいしか荷物がなかった)
犬をお供に出かけて行った私が見たものは・・・
山のような支援物資と、たくさんのボランティアの人たちだった。
「・・・中山さんは???」
と思っていると、嵐のように現れたありこさんは、話す間もなくレスキュー班とあっという間に去っていき・・・

何をどうしていいのかわからない私と、てきぱき働くボランティアの皆さまが取り残されたのだった。
レスキュー班が猫を連れ帰るまでに、猫が入るケージを用意しなきゃいけない。
フードや、猫砂やトイレの用意も必要だ。
部屋を仕切る工事で、木くずだらけのお部屋も掃除しなきゃいけない。
にゃんこはうすに到着する前に猫を飼い主さんのところに届けてきたという、空になったキャリー(しっこまみれ)も
洗わなきゃいけない。
この日は、折悪しく風のない暑い日で・・・・
森の谷間に張り付くように立地したにゃんこはうすは、無風。
熱いゼリーのようなもったりした空気に覆われていました。
暑い・・・
窓が開いていても、風が入らない・・・
汗ばんだ体にアブが入れ食い。
追い払っても追い払っても、入ってくるアブに何度刺されたか・・・
(アブとは、セミを3センチくらいに小さくしたような生き物で、人や動物の生き血や樹木の汁を吸う虫です)
というのも、この当時、にゃんこはうすには網戸がなかった。
しばらく使われていなかった建物だったので、劣化を防ぐために網戸が外されていたのだ。
網戸を探して、設置したのも、この日だったような気がする。
とにかく、何をしていいかわからないし、ケージの組み立て方も分からない私は・・・
てきぱきと作業を進めるボランティアさんの間を行ったり来たり・・・
右往左往するただの役立たずだった・・・
「何かすることはありますか?」
小さく(不安で小声になっている)、繰り返しながらうろうろしている・・・
不安そうな顔で、挙動不審な女。
自分で言ってて、むなしくなってきたけど、その時の私はハイジじゃなかった。
どっちかっていうと、マッチ売りの少女・・・っぽい。

そんな私のところにやってきた、7匹の猫。
どうなるのでしょうか・・・
ネガティブなまま終わる。
続きはまた、気が向いたら。
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