(ちょっと重い話です。興味のない方は読まないでください。現在の保護猫たちとは何の関係もない話です。)
我が家の飼い猫は本当は3匹でした。
ハンドルネームの由来でもあるボン。
ボンのおばあちゃん猫のイブ。
そしてぷー。

サバ白の男の子。
去勢済みで、喧嘩がとても弱い。
あだ名はぷっちょ。

おっさん犬ともとても仲が良かった。
いつも私の部屋にいて、とても愛していました。
過去形で書かなければならないことが、今でもつらい。
2011年3月11日に起きた、東日本大震災でたくさんの人の命が失われました。
それはけっして忘れてはならないこと。
でも、そのあとに起きた福島県の原発被災地の状況はあまりにも知られていません。
多くの・・・本当にたくさんの人の命と、動物たちの命が二次的に奪われました。
その事実があまりに知られていないことに胸が痛みます。
でも、私もぷーのことは、つらくてまだ生々しくて、語ることはできずにいました。
記憶が思い出に変わってしまって、都合の良い書き換えが起きる前に残しておかなければいけない。
そんなふうに思って、今回、ブログに残すことにしました。

ぷーは子猫の時に我が家にやってきました。
人見知りで、知らない人が来るといつも私の部屋に引きこもっていました。
震災の時、ぷーはちょうど去勢から1年。
年齢は2歳になるところでした。
大きな地震に、おびえた動物たちは、思い思いに安心だと思うところに隠れていました。
猫たちはみんな、外に逃げていて、姿を見せなかったので、フードと水を外にも置いて、私たち家族は家に入り休みました。
早朝、足元に小さく丸まって寝ていたぷーの姿が最後でした。
そのあと、拡大された避難指示を受けて、私たち家族は逃げて逃げて・・・
避難しなければいけないといわれたとき、頭にあったのは動物たちのこと。
避難所に連れて行けば、迷惑になる。
動物病院に行く以外に車に乗ったことのない猫3頭。
大型犬、中型犬、小型犬の三頭の犬。
連れて行くことはできないと思いました。
同じ町内の小学校に行くだけなら、すぐに戻ってこられるだろうと思ったのです。
それが間違いだと分かった時には手遅れでした。

少しずつ・・・
大渋滞に巻き込まれて、じりじりとしか進まない車の中で、あきらめるしかないと、身を切るような思いで覚悟を決めました。
もう、戻るためのガソリンはなかったのです。
そして、いわき市の親戚宅に落ち着いてからも、動物たちのことは頭を離れず・・・
私はひどいうつ状態になりました。
体重は10キロ減って・・・
食事をすること自体が、おいてきた動物たちへの裏切りに思えて・・・
喉を通りません。
悲しくてたまらないけど、泣けなかった。
妹も大切な猫を置いてきたし、母も父も好んでそうしたわけではなかったことがよくわかっていたから。

甘えん坊で、たまに獲物をとってくることもあったぷー。
なんとか、獲物をとって生き延びてくれていれば…
そう願うことしかできませんでした。
歩いて、原発のそばを通って、自宅へ帰ることを何度も考えて。
実行に移そうとして家族に止められました。
再会の時は、5月27日にやってきました。
浪江町住民の一時帰宅の第一号。
バスに乗って、自宅へ着いて・・・
私はずっと、猫の名前を呼んだ。
すぐにイブがやってきて、持参したフードを食べて離れなかった。
甘えて、甘えて、すり寄ってくるイブはがりがりに痩せていた。
置いて行ったなけなしのフードは犬たちに食べられてしまって、猫の口には入らなかったのだろう。
そして、ぷーとボンは、どんなに呼んでも姿を見せてくれなかった。
泣いても、叫んでも・・・
姿は見えなかった。
どこに隠れているのか。
もしかして、死んでしまったのかもしれない。
そう思ったとき、家の裏から忘れられないぷーの声がしたのです。
すぐに裏庭に向かうと、ぷーがいました。
にゃこーん・・にゃこーん・・・
呼ぶように鳴きながら、木にすりすりしている。
驚かせたら、逃げてしまう。
そっと近づきました。
「ぷー、ごめんね。迎えに来たよ。一緒に行こう!」
そう呼びかけながら、声をかけると、するりと手の届かないところへ離れて行ってしまう。
うなりながら、こちらを見つめる目が、本当に信頼してもよいのかこちらを量っているようにも見えました。
怒っている。
突然、いなくなって、帰ってこなかった私にぷーは怒っているのだと感じました。
猫だって、感情もあれば知性だってある。
飼い猫と家族には信頼関係がなければ一緒にいられないはずです。
このときに感じたのは、私の罪悪感がそう感じさせたのかもしれません。
でも、ぷーは怒って、悲しんでいる。
突然、おいて行かれてつらい目にあって、傷ついている。
そう感じました。
ごめんね。
ごめんね。
迎えに来たよ。
おいで。
許してなんて言えなかった。
許してもらえるようなことをしたとは思えなかったから。
うーと低くうなりながら、少しずつ離れていくぷーとここで別れるわけにはいかない。
父と協力して、半ば強引に持ってきたキャリーに入れました。
抱き上げたぷーは本当に軽くて、子猫みたいに小さくて、体の毛はぱさぱさしていました。

どんなにつらかったか・・・
でも、保護できてそれで終わりではありませんでした。
私はまだ避難所にいて、ペットを飼うことのできる環境にありませんでした。
一時帰宅で保護した猫はすべて、保健所に預けなければいけませんでした。
がりがりに痩せたぷー。
隙間から差し入れたフードをむさぼり食べるぷーを保健所の職員に渡しました。
再会を信じて。
7月10日
突然の電話。
ぷーが死んでしまったという電話でした。
嘘だ・・・
電話を受けた母から聞いて、私は信じられませんでした。
もうすぐ、仮設住宅が決まったら、一緒に暮らせる。
そう思っていたのに・・・
後悔してもしきれない。
どうして、あのとき避難しない選択もあっただろうに・・・
今となっては、いろんな分岐点があったことに気付くのだけど、その時はそれが最善だと思って、精いっぱいだった日々。
それが、ぷーを殺しました。
自分自身の判断が招いたことです。
だから、恨むなら、自分を恨むことしかできない。
どんなに泣いても、どんなに苦しんでも、もう帰ってこない。

ぷー。
大好きだったよ。
ごめんね。
あなたが犠牲になるなんて、思いもしなかったよ。
コタロウはまだ、あなたの名前に反応するよ。
できることなら、あの日に返ってやり直したいよ。
ごめんね。
愛してる。
ずっと愛してるよ。

もう二度と、こんなことが起こらないでほしいのだけど。
もしも、起こってしまったら・・・
迷惑だといわれてもいい。
常識のない人だといわれてもいい。
絶対に離さない。
ずっと一緒にいる。
大切なものは離しちゃ駄目です。
連れていけないなら、自分も避難しない。
避難して、助かっても、絶対に後悔するから。
あなたの大事なものは何ですか?
絶対に離さないでください。