うずら

4
4月20日のブログで、お知らせしたうずらの病状。
残された時間は少ないと分かっていましたが・・・
翌日の朝10:30私が猫部屋のお掃除に入っているその時間にうずらは逝ってしまいました。

本当にあっけなく。
少しだけけいれんした手足が、走るように動いて・・・
目からすーっと光が消えました。

前日の状態で、この日の点滴はどうしようか?と考えていたのですが、朝にはその点滴をするような状態ではなくなっていました。

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元気だったころのうずら。
きれいな八割れ。
口元の泥棒柄も可愛くて、大好き。

ビビりで、人が怖くて・・・
爪を切ったり、動物病院に連れて行ったりするのに、何度も捕まえて怖い思いをさせました。
お返しに、おしっこ漏らされて、着替えに走ることもよくありました。

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こっちに来ないでよ!って、必死にシャーシャーいう姿も可愛いと思っていました。
うずらには怖いだけだったかもしれませんが、私は大好きだったよ。

いつも、猫が亡くなったときは、すぐにブログでお知らせしていたのですが・・・
今回は、心の整理がつかなくて・・・
ご報告が遅れてしまいました。

保護猫が、保護猫のままで死ぬこと。
それはとてもつらい。
うずらのように回復の見込みのない病だったり、
健康状態の良くない子は、積極的に里親さんを募集することもできなくて・・・
私の家にいるのはそんな子たちばかり。

1
亡くなってから初めて、うずらの手を洗いました。
口内炎がひどかったので、うずらの手はいつも茶色く汚れていました。
元気で、むちむちしていたときみたいに、白い手に戻してあげたくて・・・
お湯をためて、うずらを抱きかかえて、両手を洗いました。

小柄なうずらが、痩せてしまって、今では茶々よりも軽くなっていました。

初めて抱っこしながら、泣いた。

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ねぇ・・・うずら。
ちょっとは幸せだったかな?
あんずやミントとくっついて寝ているときは幸せそうに見えたけど・・・

私のところに来て幸せだった?

0
苦しいのが楽になって、自由になったうずらの魂はどこにいるんだろう?
まっすぐに福島の空へ帰っていったのかな?
あの富岡から見える高い高い空へ、走って行ったのかな?


7
うずらの病気が治らないものだって、わかってから・・・
いつか、この日が来ることはわかっていました。
覚悟もしてたつもりだったよ。

でも、ダメだった。

治してあげられなかったことが悔しい。
何もできない自分が大嫌い。

6
心の一部がもぎ取られたみたいで、苦しいです。
こんなにも大きな存在だったんだって、亡くなってから、余計に分かる。

本当はもっと、できることがあったんじゃないかって、後悔は波のように押し寄せてきて・・・
つらくてたまらない。
泣いて戻ってくるなら、いくらでも泣くんだけどね・・・

8

うずらは、2012年10月27日に富岡町で保護されました。
人慣れしていない彼は、飼いネコではなかったかもしれません。

いままで、ご支援いただいたフードを食べて、ご支援いただいたお金で病院に通っていました。
うずらがこうして生きてこられたのは、皆様のご支援のおかげです。

本当にありがとうございました。

13
うずらと陸と茶々でシェアしていたカロリーエースが、
うずらの分だけ残ってしまうことにまだ、慣れることができませんが・・・

私の手を必要としている子たちを大切に、していきたいと思います。

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4年前のこと③3月13日

震災当時、私が持っていたものです。
すぐに帰ることができる。
帰れなくても、荷物を取りに行くことくらいできるだろう・・・
そう思っていたのが間違いだと分かった時には、どうにもなりませんでした。


私の財産

全財産の入った財布。
図書館で借りた本1冊。 【双葉町図書館で借りた本が仕事用のバッグの中に入っていた】
(児童書ペギースーシリーズ)
白衣のポケットに入ってたキッチンタイマー、はさみ、ボールペン、サインペン。
化粧品。
携帯。(充電器なし)
携帯用イヤホン。
チョコレート(職場におやつ用に置いていたもの)
髪を束ねるゴム1本。
薬一式。(喘息薬など)
毛布2枚。
ブラとパンツ各1枚ずつ。
ユニクロのジャージ上下。
靴下一足。
コート1枚
ノート一冊。
コップ代わりのペットボトル。
甥っ子が拾ってきた石英。

震災当時のお話です。
長くて、写真もありません。
興味のある方だけご覧ください。

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4年前のこと②3月12日

震災当日・・・
私たち家族にあった、情報は
大きな地震が広範囲で起きたこと。
想像できないような津波が来ているらしい。
原発は安全に緊急停止した。
でした。

情報源は電池式ラジオと、町の災害広報だけで・・・
あとは実際に見た人から伝え聞いた話ばかりでした。
携帯の充電も出来ず、ネットにもつながりませんでした。

そんな震災二日目に、初めて、私たちは原発に異常が起きているかもしれない・・・と知ったのです。

興味のある方だけ、お読みください。
写真はありません。長い文章です。

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4年前のこと。

震災のあの日から・・・
今日で、4年がたちます。

私の家は、「避難解除準備区域」という呼称で区分けされている場所で。
4年経つ今、町の許可があれば自由に出入りができますが、住むことはできません。

除染はこれから始まる予定。
広大な地域を除染し、避難解除できる日がくるのはいつになるのでしょう。

4年前のあの日、何があったのか、私の視点で書きとめたものがあります。

あのときまで・・・
1
浪江町に住んでいたゾロも。

2
原発近くの双葉町に住んでいたくまちゃんも。

想像もしていなかったような大地震でした。
続いて襲ってきた津波も。
原発事故も。

当時、ミクシィの日記にあげていた、3月11日の状況をつづったものです。
興味のある方はご覧ください。
(長いです。写真はありません)

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なんだかナーバス

今日は猫の話はありません。

今回、レスキューの時、少し時間があったので、富岡駅の周辺に行ってきました。
見たいものがあったのです。

2
富岡駅は海からとても近いところにありました。
海側の地勢は平たんで、田んぼと数軒の家が点在していました。

電車で、職場に通っていたころ、遠くに水平線が見えていました。
震災後は、駅から町側の方を通ったことは何度もありましたが、海側に行ったことはありませんでした。

1
仮置き場が設置されて、海沿いの周辺は綺麗になっていました。
でも、転がる船や車、家の基礎が、そこにあったものが津波の被害にあったことを伝えています。

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ひっくり返っているように見える、この一台の車。
これが何か分かりますか?

実際に見るまで、私はひっくり返っているのだと思っていたのだけど・・・
そうではありませんでした。
座席部分があったとは思えないくらいにつぶれてしまった一台の車です。

献花台が設けられて、手を合わせる人が後を絶たない場所です。

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これがそうであると分かっていても、元の姿が想像できないくらい。
津波でめちゃくちゃになってしまった車。
後部のツートンカラーがようやく見て取れます。

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これはパトカーです。

震災当時、津波が来ることを知って、住民の避難誘導に向かったパトカーの一台です。
乗っていたのは二人の警察官。

大和田新さんの福島レポートで私はこのパトカーのことを知りました。

津波の被害で亡くなった方は、本当にたくさんいます。
そのほとんどが、襲い来る津波から誰かを助けようとして亡くなったということは、ご存知でしょうか。
私の知人も、一旦は自宅へ戻り・・・
家族の無事を確認した後、地元消防団の一員として、避難誘導に向かって帰らぬ人となりました。


あの時、どうするのが一番だったのか・・・
誰かを助けたい。そう思って海へ向かった人の多くが助かりませんでした。

私は自分自身と家族のことだけで手一杯だった。
津波が到達したころ、まだ、自宅へ帰ることができずにいました。

もし、自分が海の近くにいたら・・・
どうしていたでしょう。
考え込んでしまいましたが、まだ答えはみつかりません。

3
このパトカーは、場所を町の中央部へ移して、保存されることになっています。



プロフィール

ボンママ

Author:ボンママ
ねこだいすき。
なぜか飼っているのは犬。
石とか貝とか植物もすき。
海外ドラマ好き。

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南相馬市にある被災猫シェルターです。 福島県原発被災地の猫のレスキュー、家族さがし、里親募集をしています。 多くの方に支えられて、活動を続けています。

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